

上田の城下町、柳町などを訪れると、入口近くや神棚に飾られた、特徴的な六角柱の木製のお守りを目にすることがあるかもしれません。
これは「蘇民将来符」と呼ばれる、この地に深く根付いた厄除けの護符です 。
心優しき者が救われる、蘇民将来の物語
この護符の起源は、日本各地に伝わる「蘇民将来」という物語にあります。
昔々、旅の神様(武塔神)が一夜の宿を求めました。
裕福な弟・巨旦将来は冷たく断りますが、貧しい兄・蘇民将来は、なけなしの粟飯で心からもてなしました。
後に神様は正体を明かし、その親切に報いるため、やがて来る疫病から蘇民将来の一族を守ることを約束します。
その印こそが「蘇民将来の子孫である」と記した護符であり、これを持つ家は災いを免れ、繁栄したと伝えられています。
なぜ上田で?信濃国分寺と八日堂縁日

上田の蘇民将来信仰の中心は、信濃国分寺です。
この寺には室町時代、文明12年(1480年)に書かれた『牛頭天王祭文』という古文書が伝わっており、500年以上にわたってこの信仰が大切に受け継がれてきたことがわかります 。
蘇民将来符が頒布されるのは、毎年1月7日と8日に開かれる「八日堂縁日」。
江戸時代に描かれた『図』にも、この護符を求めて大勢の人々が集まる様子が生き生きと描かれており、当時から地域最大の行事として賑わっていたことがうかがえます。

上田ならではの魅力—手仕事の温もり「絵蘇民」
信濃国分寺の蘇民将来符が特別なのは、そのユニークな伝統にあります。
護符の製作は、お寺だけでなく「蘇民講」と呼ばれる門前の地域住民の方々も担っています。
蘇民講の人々が作る護符は「絵蘇民」と呼ばれ、七福神やその年の干支など、各家で意匠を凝らした絵が一つひとつ手描きされます。
この色鮮やかで温かみのある絵蘇民は大変な人気を誇り、頒布される8日の朝には、これを求めて早朝から長い列ができるほどです。
ちょっとくわしく蘇民将来
日本全国に伝わる「蘇民将来」の話を詳しく見ておきましょう。
このお話は「茅の輪くぐり」とも関係が深いため、神社での儀式のようにも感じますが、実際は民間信仰の一つで、上田の蘇民将来符の頒布は仏教寺院で行われています。
昔々、北の海からやってきた武塔神という神様が、南の海の女神に求婚するための長い旅をしていました。
日が暮れ、神様は裕福な弟、巨旦将来の家に宿を乞います。
しかし、立派な屋敷に住む巨旦は、みすぼらしい旅人を泊めることを冷たく断ってしまいました。
途方に暮れた神様が次に訪ねたのは、貧しいながらも心優しい兄、蘇民将来の家でした。


心づくしのおもてなし
蘇民将来は、食べるものにも困る暮らしでしたが、喜んで神様を迎え入れます。
彼は妻と相談し、自分たちが食べるはずだったけっして豊かではない粟のご飯を炊き、休んでもらうために粟の茎で座布団を作って、精一杯のおもてなしをしました。
その素朴で温かい心に、武塔神は深く感銘を受けます。
茅の輪の約束



一夜明けて旅立つ際、武塔神は自らの正体を明かし、蘇民将来にこう告げました。
「近々この地には恐ろしい疫病が流行るだろう。しかし、あなたの真心への礼として、あなたの子孫を末代まで守ることを約束する。
目印として、茅で作った輪を掲げなさい」と。
こうして茅の輪は『我は蘇民将来の子孫なり』の目印として、夏越しの大祓の儀式に繋がります。
数年後、予言通りに疫病が国中に蔓延しました。
武塔神は再びこの地を訪れ、裕福で無慈悲だった巨旦将来の一族を滅ぼしましたが、茅の輪を掲げた蘇民将来の家族だけは病気になることなく、その後、代々繁栄したということです。
この伝説から、蘇民将来符は疫病除けや厄除け、そして子孫繁栄の強力な護符として、深く信仰されるようになりました。
護符の意味を知る
信濃国分寺の蘇民将来符は、全国的にも珍しい特徴を持っています。
その意味を知れば、この護符がさらに特別なものに感じられるはずです。
六角の木柱に込められた願い

国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギという清浄な木から作られる美しい六角柱の形をしています。
その六つの面には、朱と墨でそれぞれ下記のように書かれています。
- 「大福」 – 大きな福を
- 「長者」 – 豊かな暮らしを
- 「蘇民」
- 「将来」
- 「子孫」
- 「人也」
これらを繋げると「蘇民将来の子孫にして、大福長者たれ」と読むことができ、単なる厄除けだけでなく、豊かな幸福を招き入れる「招福除災」の強い願いが込められているのです。
地域が守る手仕事の結晶「蘇民講」
この大切な護符は、機械で作られるものではありません。
江戸時代から続く、国分寺の門前住民で構成された「蘇民講」という組織の人々が、今も一本一本手作りしています。
冬になると、蘇民講の人々はドロヤナギの木を切り出す「蘇民切り」から始め、乾燥、切断、面取り、そして文字入れまで、すべての工程に心を込めて携わります。
特に人気が高いのが、七福神や干支、だるまなどが描かれたカラフルな「絵蘇民」です。
これは蘇民講だけが作る特別なもので、その素朴で愛らしい絵柄は、上田の地で育まれた木工芸文化の温かみを感じさせます。
暮らしに寄り添う、当たり前の「お守り」
コロナ禍で全国から注目を集めた上田・信濃国分寺の「蘇民将来符」。
しかし上田では、それ以前からずっと、人々の暮らしに寄り添う特別な存在でした。
なぜ、八日堂縁日には今も地域の人が絶えないのか。
その理由を、彼らにとっての現代的な意味から探ります。
一年を始める「暮らしの心の拠り所」
先の見えない不安は誰にでもあるもの。
ですが上田の人々にとって蘇民将来符は、漠然とした不安のためだけではありません。
子どもの誕生や進学、家族の健康といった人生の節目で、当たり前のようにそこにある「心の拠り所」です。
毎年これを手に入れ、神棚や玄関に飾ることで、新しい一年を始めるスイッチが入る。
コントロールできない日々の出来事に対し、「今年も神様が見守ってくれている」という意識が、暮らしの中に深く根付いた安心感をもたらしています。
国分寺の蘇民将来符は、単なるお守りを超えた生活暦の一部なのです。
地域が育む「見えない力との信頼関係」
蘇民将来符が繋ぐ「見えない力」は、上田の人々にとっては非常に具体的です。
精神科学的に見れば、信じる心がもたらす安心感(プラセボ効果)は普遍的です。
しかし上田では、その信頼を支える強力な土台として、作り手である「蘇民講」が、顔の見える隣人であるという事実があります。
自分たちのよく知る人々が、地域の聖なる木を使い、祈りを込めて手作りする。
そのプロセスを知っているからこそ、護符に込められた「見えない力」への信頼は揺るぎないものになります。
それは、地域コミュニティ全体で育んできた、無意識レベルでの強い信頼関係の証でもあります。
自らのルーツを示す「土地の物語の依り代」
観光客にとっては文化の「アイコン」かもしれませんが、上田に住む人々にとって、蘇民将来符は自分たちのルーツそのものです。
護符を持つことは、「自分はこの土地の一員である」という繋がりを示すアイデンティティの証でもあります。
神霊科学(スピリチュアリティ)的に見ても、その土地で育った木を使い、代々住む人々が祈りを込める護符は、土地そのものが持つ守護のエネルギーを凝縮した結晶です。
この土地で生まれ育ち、先祖からこの習慣を受け継いできた人々にとって、護符を手にすることは、自分たちの歴史と土地の霊的な力、そして共同体の集合的な祈りを、改めてその身に受け止める神聖な行為と言えるでしょう。
上田の人々と共にある、温かい物語
上田の人々にとって、蘇民将来符は単なるお守りではなく、家族の健康を願う「祈り」であり、地域社会との「繋がり」であり、そして先祖から受け継いだ土地への「誇り」です。
だからこそ、新しい年を迎えるにあたり、この温かい物語が込められた護符を手に取り、家族と地域の安寧を祈り続けるのです。
ナラティブ作成/ことほむ 合同会社
