江戸時代、城の中が松、杉の大木や竹がうっそうと生い茂る林だったことから「カラスのねぐら」と例えられた上田城。実際、廃城後に払い下げられた松や杉は、千本もあったそうで、秋になると、城の周辺ではキノコ狩りができたとも伝えられています。
松や杉が伐採された後、城跡内に多くの梅や桜が植えられました。明治40年頃の絵葉書には、「花の上田公園」という題名がつけられ、当時すでに花の名所だったことが分かります。また、同じ頃に描かれた松平(しょうへい)神社(真田神社の前身)の絵も、本丸に梅や桜がたくさんあったことを伝えています。
二の丸橋を渡った付近は、公会堂や遊園地の目前ということもあり、たくさんの桜が植えられたようです。昭和の初め頃の写真には、桜が見事に咲いている光景が写っています。
上田城跡の桜を代表する本丸の堀の桜ですが、昭和3年頃に撮影された写真には写っていません。しかし、その数年後に撮られた写真には写っていますので、古い木の中には樹齢が80年近いものもあるかもしれません。現在、年老いて弱った木も目立つようになってきた城跡内の桜ですが、市民の皆さんに親しまれ、愛される存在であり、今後も大切に保護していかなければなりません。
信州上田 上田城千本桜まつりがスタートしてからの歴代のパンフレットを掲載いたしました。
第2回~第5回までは、紙のパンフレットからPDF化して掲載。
第6回以降は、デジタルデータからPDF化として掲載。
第1回のパンフレットは、残念ながら残っておりません。